しみついた感覚
以前tontanさんにこんなことを聞かれたことがある。
「furu-tさんは、どうして『学び合い』の考え方を理解できる感覚をもっているの?」
思いもよらない質問。
確かにそうだ。
『学び合い』の感覚をけっこう苦労せずに受け入れられた自分。
なぜだろう?
少し考えたら答えが見えた。
私は子どもの時からずっと、『学び合い』の中で生きてきたのだ。
しかし、私の小学校、中学校の先生たちはみんなバリバリの一斉授業。
じゃあ、どこで『学び合い』をしていたのか?
それは、「ボーイスカウト」である。
ボーイスカウトって何?
と言われる人のために、少し説明。
下の文章は、私の隊長がボーイスカウトがわからない保護者へ向けて書いた文章。
<引用始め>
ボーイスカウトって何??
「大自然を教場としたガキ大将グループ」
ボーイスカウトとは、
「集団生活で友達ができ、奉仕活動をして熟練の指導者がいろんな技能を教え、
キャンプやハイキングで子ども達を逞しく成長させてくれるもの」
と、お思いの方もいらっしゃるかと思います。
キャンプや奉仕活動などは、他の青少年団体でもやっていますが、
その大きな違いをお話します。
「なぁ、トモちゃん、今度の日曜日釣りに行かねぇ?」
「いいなぁ、行くべ行くべ!」
「ケン坊とマサルもやったことねぇから、やりてぇんだってよ。連れてっていーか?」
「かまわねぇよ!それよか、仕掛けとエサ、いつ買いに行く?」
「んだなぁ、じゃ明日、小遣い300円ずつ持ってこいよ、
んで、明後日の学校の帰りお菓子とかも、みんなで買いに行くべ!」
「学校の帰りは、やばくねぇ?」
「大丈夫だ。バラバラに帰ってからまた集まってたら帰んのが遅くなって、
母ちゃんに怒られんべ。
んだからケン坊んチの小屋にランドセル隠しといて、それから行くべ!」
「んだな、ケン坊とマサルの道具は、オレの貸すよ。」
場所は・・・集合は・・・・マサルはまだ3年生だから・・・何持ってく?
・・・100匹も釣れたらどーすんべ?・・・
ケン坊は自転車に足がとどかねーからあぶねーよ・・・
マサルもまだ自転車に乗れねぇよ・・・どーすんべ?
・・・母ちゃん、お金くれっかな?・・・
・・・少年達の計画と妄想はどこまでも続くのでした・・・
これは、多少の脚色はありますが私の小学校5年生の時の体験談です。
子どもの頃、似たような経験をしたことはありませんか?
私は、友達と釣りに遊びに行って知らず知らずのうちに、学校や家庭では学べないたくさん の勉強をしていたんです。その時は意識していませんでしたが、今になって思えば
◎好奇心を満たすために自発的に考え計画し行動したことで結果が出ることを学びました。
◎自転車に乗れない年下の子をどうしようかと考えたことで
人の立場に立つことを学びました。
◎100匹どころか3匹しか釣れなかったことを反省して、
後日、手法を変えて再挑戦したことで進歩することを学びました。
◎途中で雨が降ってきて、びしょぬれで逃げ帰ったことで雨具の準備が必要なこと、
天気予報は見とかなくちゃいけないこと、自然には勝てないことを学びました。
◎一人300円では、食べたいお菓子までは買えなかったことで、
予算は計画的に考えることを学びました。
◎学校のルールを破って帰宅前に買い物に行ったことで、良心の呵責を覚えました。
その他、遊びを通した様々な思いや感情、体験は人格形成の大きな要因であったと思います。
子ども達は遊びの中で知恵をつけ、友達を作り、個性を知り、生きる力を育みます。
大人が少年達をより良い人生に導こうと、いろんな知識や技術を教えることも必要ですが
冒険心と好奇心に満ち溢れた子ども達の目の輝きを大人の押し付けではなく、
自然の中で仲間達と自ら考え行うことによって様々な体験を通じ、
個性を伸ばし社会性を身に付ける。
まさに、昔の子ども達が「ガキ大将グループ」の中で培った、
自発性や仲間意識や異年齢集団で作る自分たちのルール、
失敗したことで次はどうしようかと考えた、あの向上心・・・
そういった子ども達が持つ特質を自然の中でいかんなく発揮できるよう、
指導者はボーイスカウトプログラムを提供し教育手法としています。
<引用終わり>
私は小学校3年生になった年から20歳を超えるまでボーイスカウト活動を続けてきた。
ボーイスカウトの班は基本的に異年齢集団。
小学校6年〜中学校3年のメンバーで班を構成する。
基本的に上級生が班長、次長(副班長)として班をまとめていく。
基本的に隊長はアドバイスはするが教えない。
班で知恵を出し合い、自分達の班をよりよい班へと変えていくのだ。
キャンプで何度失敗をおかしたことか・・・。
前の日に、薪を放置していたために、しけって火がつかない。
火がつかないから、もちろん朝飯が作れない。みんなで朝飯抜き。
川に冷やしておいた、配給された食材(スイかもあったなぁ)が大雨で
全部流されたこともあった。
テントを張る場所をまちがって、大雨で水がテントに流れ込んできたこともあったし
防寒着を忘れてブルブル震えたこともあった。
でも、隊長は「ああしろ」「こうしろ」とは決して言わなかった。
ニヤッと笑って。
「班長に聞いてみな!」「班で考えろ」である。
わかる人がわからない人に教え、協力しあうのは当たり前。
みんながわからない時はみんなで考えるのが当たり前。
ボーイスカウトに入った小学校3年から、20歳を過ぎるまで
ずっとそんな環境で育ってきたのだ。
隊長はいつも熱く語っていた。
「時間がかかってもいい!自分がやりたいことを考えろ!」
いま思うと、『学び合い』の考え方とまったく同じだなぁ。
知らず知らずのうちに、体にしみついていたこの感覚。
ふと自分の原点を見た気がした。