すがすがしい敗北

学級通信110号より↓↓


朝の出来事。数名の男の子が私のもとに駆け寄って来た。


「先生。今日は図工でビー玉めいろをつくりますよね?
 あれって、何人かで1つの作品をつくっちゃだめですか?」


その時、私の頭によぎったもの。それは、「評価」
「1人ひとつ作品キットが渡るんだから、別々に作ったら?そのほうが評価もしやすいし。」


すると、その男の子達は真剣なまなざしで続ける。
「去年、『レッジョ・エミリア』のビデオを見たんですけど、
 あんな感じで共同制作をしたいんです。」


レッジョエミリアというのは、イタリアの都市の名前。
2〜6歳ぐらいの子ども達がお互いにアイディアを出し合いながら、
自由にのびのびと作品を制作するというおもしろい試みをしている。
幼児期から、徹底的に自分の頭で考え、
仲間と協力しながら1つのものをつくりあげる経験を積んでいくのだ。


そこまで、熱い思いをぶつけられては、話を聞かないわけにはいかない。
でも、問題なのは評価。そこで聞いてみた。


「でもさぁ。評価はどうすればいいの?
 5人の人が一緒につくったとして、1人の人が遊んでいたとする。
 でも、できる作品は1つ。
 遊んでいた人も、がんばっていた他の4人と同じ評価になっちゃうよね?
 それっておかしくない?」
 

すると、男の子達は続ける。
「大丈夫です!
 自分がどこの部分をつくったか、
 どんな所を工夫しながら作ったか説明できるようにしますから!
 説明ができなければ、一生懸命やっていなかったってことになりますよね?
 なにより、他の4人が遊んでいたら先生にしっかり伝えますから。」


そう来たか!またしてもこいつらにやられた!
内心、にやっとしながらも話を続ける私。


「じゃあ、残る問題は1つだね。だれが作品をもって帰る?
 ばらばらにしてもって帰っても意味がないよね?」


男の子達、ちょっと考えてから答える。
「そこは〜、メンバーで話し合ってトラブルが起きないように決めますから。
 絶対大丈夫です。」


「そうですか。負けました。認めます。」深々と礼をするわたくし。
 負けたけどすがすがしかった。



「評価しなくてはならないから」
「だれがもって帰るかトラブルが起こりそうだから」

こんなことは実はすごくくだらない問題。
彼らは純粋に「よりよいものをつくりたい」と思っている。
そして、力を合わせることですごいパワーを生むことを知っているのだ。


私だってそんなことはわかっていたつもり。
だって「みんなが」「「みんなで」を常に求め続けているんですから。
でも、その情熱を、知らず知らずのうちにおさえつけている自分がいたことに気づかされた。
気をつけないといけないですなぁ・・・。


それにしても、「どう勉強したいか」を真剣に伝え、私を説得してしまうとは・・・。
なんて頼もしいのでしょう。
自分達の学び方は自分達で決めたい。
そんな決意が伝わってくる朝の出来事でした。


どんな作品が完成するのでしょうか?楽しみです!