よりよい未来へ

われわれは『学び合い』をしたいのではない。


『どんな状況でも楽しく学び続ける』子ども達を大人へと育てたいのだ。


どんなに批判されようと
どんなに非難されようと
どんなに否定されよと

我々教師、いや大人達が目指しているものは同じであろう。
をれは揺るがない事実。


それを前提に話をしないとなにも進まない。
子ども達によく話す言葉。


「みんな。人生は山登りと一緒。目指すべき頂上は1つ。でも登山道はたくさんあるよね?もしかしたら道なき道を進む人もいるかもしれない。どの道をいくのか?それは君達しだい。大事なのは『歩みを止めず頂上を目指してゆっくりでも進むこと』だよね?『頂上に近づいている』という実感をもつことだよね?」


これはどんなことにも当てはまる。
大人達はみな、子ども達がよりよい未来をつかめるよう願っている。
向いている方向は同じはずだ。
それなのになぜ、相手を傷つけ、おとしめることを平気でするのだろう?


我々は理論で勝負してはいけない。
目の前の子ども達で勝負しなくては。
『どんな状況でも楽しく学び続ける』子ども達はどうしたら育つのか?
多くの道があっていい。
どの道が正しいかは、大人というフィルターを取り除き、
子ども達どうしをつなげてみればおのずと見えてくる。



前回のエントリーにも書いたように、どんなに勉強しても、教師主導の授業で完璧な授業はできなかった。必ず顔がくもる子どもがいる。
そして、何より『先生がいないと勉強しない子ども』を育てていた。


しかし、今は違う。子ども達は先生へのアピール、評価のために勉強はしていない。
自分のために勉強をしている。
私が1人で教えて、ここまで高められるか?無理だろう。
だからこそ今、私は『学び合い』の考え方を日々語り続けている。



ネット上で大きなうねりが起きている。
『学び合い』に賛同してくれる人が現れる一方。
何もわからず、批判し、非難し、否定する人も二乗倍で現れる。
(私もほんの少し前まで、否定派だったので、気持ちはよくわかる)
しかし、そのうねりによって、『学び合い』をしているものは傷つき
『学び合い』を始めようとしているものは躊躇する。


傷ついて、躊躇している人に言いたい。
大丈夫。向いている方向はみんな一緒だから。